SSブログ

下田観光 竜宮窟 田牛 碁石が浜 下田開国記念館 唐人お吉記念館  玉泉寺

竜宮崫
海底火山が隆起したところに波の浸食作用が働いて出来た洞窟です。
天井の岩が抜け落ちたので、ぽっかり穴が開いています。
IMAG0384.jpg

IMAG0411.jpg

IMAG0412.jpg

田牛(とうじ)
サンドスキー場。
海岸に傾斜をつくっている白砂は潮風に吹きあげられて堆積してできました。

IMAG0448.jpg


碁石が浜
夏は車で公道から私道へ降りて行けますが、もうこの時期は車は進入禁止です。
歩いて降りて行ってみました。

IMAG0462.jpg
この後、一回、アーネストハウスに戻って、ジャグジー入ってのんびりしました。



下田開国博物館
すごい資料の量でした。
2号館はお土産屋さんの2階でした。
お土産も買いました。
利き酒コーナーがあり、挑戦してみましたが、間違えました。
おいしかったのは寒天。はじめは市販の寒天を食べましたが、
保存料の入っていない寒天をサービスで出してもらいました。

IMAG0465.jpgNEC_2026.JPG
NEC_2028.JPGNEC_2031.JPG


伊豆下田 八幡山 宝福寺 唐人お吉記念館
唐人お吉のお墓があります。
ハリスの身の回りの世話をした人物。
小和田哲男によれば、自分に夜の相手が欲しいヒュースケンという通訳が病気がちだったハリスに
看病する人を付けてほしいと、いうところを身の回りの世話をする人をつけて欲しいと訳したのだろうという
見方。下田奉行は一度、この話は先例がないという事で断っている。
ヒュースケンの相手をした女性お福はお吉とは違いヒュースケンの事などさっさと忘れ、普通の結婚をしたらしい。
ハリスはお吉に腫物ができているという事で三日で帰してしまっている。腫物が治って、再度出仕えようとしたら、
今度はハリスが病気で出仕を差し控えさせられたことが当時の記録に残っているらしい。。
その後、ハリスにはおさよという女性が上がっていて、5か月で暇が出された。ヒュースケンにはおつるという女性が上がり、おつるはずっと寵愛を受けた。こんな一人で良い思いをしたヒュースケンだったけれども、日本に来て3年後には暴漢に襲われ、殺されてしまった。因果の報いかな?
唐人お吉はその後、横浜に来て、大工と同棲するものの下田に戻り、髪結いをやったり、三島に住んだり、また、下田に戻り安直楼という小料理屋を営んだりしていた。今でも安直楼はある。ただ、閉まっていて中を見る事は出来ません。

NEC_2033.JPGNEC_2034.JPG

また、山内容堂・勝海舟謁見の間があります。
山内容堂に龍馬の脱藩の罪を解き、その身を自分に預けてほしいと、懇願した場所です。
この勝海舟の直談判により龍馬はまもなく脱藩を許されました。



アメリカの総領事館が置かれていた玉泉寺
ハリスとヒュースケンが住んでいたところ。
昭和54年 第39代アメリカ合衆国ジミー・カーター大統領も来た。

NEC_2035-001.JPG




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。